新卒フリーランスライターの成長過程を記すブログ 田中將介(^^)

新卒フリーランスライターの成長過程

おもしろいことは言えません。 しかし、誰かがおもしろいことを言ったことに対しては、ものすごい勢いで笑います。本当はフリーライターじゃなくてフリージャーナリストって言いたい。そんな人間です。

笑い・命さざめく カンボジア ポト派少年兵の初恋 処刑した日々

https://mainichi.jp/articles/20171111/ddl/k36/040/597000c

 

 

1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。
 
 
 ソパは少年兵となり、ベトナム軍侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。
 
 ■オンカーの子
 
 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。
 
 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。
 
 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る--。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。太陽が空のてっぺんに来るころに「気をつけ」の姿勢で「イチ・ニ・サン……」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。
 
 ■敵は根絶やしに
 
 間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とはカンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。
 
 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。
 
 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。
 
 ■「天に昇る気持ち」
 
 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。
 
 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。
 
 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。
 
 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。
 
 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。
 
 ■森で闘い、歌った
 
 森に戻ると仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。
 
 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。
 
 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略)
 
 

1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。

 

 ソパは少年兵となり、ベトナム軍侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。

 ■オンカーの子

 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。

 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。

 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る--。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。太陽が空のてっぺんに来るころに「気をつけ」の姿勢で「イチ・ニ・サン……」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。

 ■敵は根絶やしに

 間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とはカンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。

 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。

 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。

 ■「天に昇る気持ち」

 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。

 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。

 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。

 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。

 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。

 ■森で闘い、歌った

 森に戻ると仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。

 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。

 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略)

1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。

 

 ソパは少年兵となり、ベトナム軍侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。

 ■オンカーの子

 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。

 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。

 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る--。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。太陽が空のてっぺんに来るころに「気をつけ」の姿勢で「イチ・ニ・サン……」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。

 ■敵は根絶やしに

 間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とはカンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。

 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。

 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。

 ■「天に昇る気持ち」

 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。

 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。

 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。

 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。

 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。

 ■森で闘い、歌った

 森に戻ると仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。

 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。

 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略)

1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。

 

 ソパは少年兵となり、ベトナム軍侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。

 ■オンカーの子

 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。

 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。

 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る--。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。太陽が空のてっぺんに来るころに「気をつけ」の姿勢で「イチ・ニ・サン……」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。

 ■敵は根絶やしに

 間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とはカンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。

 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。

 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。

 ■「天に昇る気持ち」

 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。

 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。

 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。

 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。

 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。

 ■森で闘い、歌った

 森に戻ると仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。

 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。

 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略)

1975年4月。急進的なカンボジア共産党ポル・ポト派が米国が支援する政権を打倒したのは、ソパ(仮名)が7歳の時だった。私有財産や階級社会を否定するポト派は農民を主体とする新たな国の建設を目指し、都市住民を農村に強制移住させ働かせた。敵とみなす者は処刑し、病気や飢餓で多数が死に追いやられた。

 

 ソパは少年兵となり、ベトナム軍侵攻でポト政権が崩壊した後も闘い続けた。ポト派が99年に消滅すると西部パイリンで、元最高指導者ヌオン・チアらの身辺の世話や地雷除去に従事した。元指導者に約200万人の死の責任を問う特別法廷が終盤を迎える今、49歳になったソパは過去を語り始めた。

 ■オンカーの子

 10歳の時、初めて人を処刑した。後ろ手に縛った「敵のスパイ」の男10人を僕ら6人で森に連れて行った。40歳くらいの男が無言で僕を見た。怖くはなかった。後ろから銃殺した。

 僕は西部バタンバン州の村で生まれ、両親と一つ違いの兄と暮らしていた。ポト派が政権を取る前から支配していた地域だ。ポト派政権になって2年ほどたった時、親と離され少年団での生活を命じられた。

 「オンカーの子」として国を愛し、集団の規律を守る--。厳しく教えられた。オンカーとは偉い指導者のことだろうと思ったが、一体誰なのか、知っている人はいなかった。太陽が空のてっぺんに来るころに「気をつけ」の姿勢で「イチ・ニ・サン……」と、みんなで百まで叫ぶのが日課だった。

 ■敵は根絶やしに

 間もなく兵士になるよう命じられた。兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。みんながなりたがった。重要なのは「敵を抹殺する」こと。敵とはカンボジアを支配しようとする隣国のベトナム人、米国の中央情報局(CIA)など外国のスパイ、腐った思想に犯された前政権のやつらだ。

 僕の部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。敵は「根絶やしにする」のがオンカーの方針だから、女や子どもも、だ。穴に積み重なる死体を見て、気を失ったり泣きだしたりするやつもいた。

 楽しくなんかないけど、悲しくもない。頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。後悔はしていない。

 ■「天に昇る気持ち」

 うれしかったこと? あったよ。長ズボンと長袖シャツをもらった時だ。短いものしか持ってなかったから、いつも欲しかった。79年1月、ベトナム軍の侵攻で政権が崩壊し、タイ国境近くの森まで逃げる途中、中国製のものを渡された。11歳になったばかりだった。

 僕らは森を拠点に、ベトナムとかいらい政権の軍と戦い続けた。10年近くたち、和平に向けた会議がジャカルタで開かれたころ、首都偵察を先輩と命じられた。

 驚いた。森で闘っている間に、街はきれいに整備されていた。先輩に連れられ、ある家に行った。女の子が次々とあいさつに来る。娘がたくさんいる家なんだな、と思っていたら「女を選べ」と言われた。売春宿だった。

 初めての体験だ。戸惑いながら指さした女の子に部屋に案内され、彼女が水浴びをしている間、ベッドに横になり両手で胸を抱えて震えていた。「大丈夫よ。あなたも水浴びをして」。胸まで布を巻いた彼女がそばに来て笑った。

 腰までの黒髪と明るい肌。初めて恋をした。オンカーは人を愛することは教えてくれなかったけど、天に昇るような気持ちなんだね。朝まで愛し合った。二人で笑いながら水浴びをし、キスをしてまた抱き合った。

 ■森で闘い、歌った

 森に戻ると仲間にこう言われた。「あそこの女たちはベトナム人だ」。なんてことだ、結婚したかったのに敵だったなんて。二度とそこには行かなかったけど、彼女のことは忘れられない。

 90年代終わりごろ、生まれ育った村に行ったら母さんがいた。20年ぶりの再会に母さんは泣いた。僕は泣かなかったけど、父さんが病死したと知り、寂しかったな。いつも膝の上で抱き締めてくれたから。少年団に入る前、配給がわずかで空腹でたまらなかった日、父さんが危険を冒して米を盗んできた。他の人に見つからないように夜、暗闇の中で家族で食べた。父さんが誇らしくてうれしくて、幸せだった。

 こうしてみると悲しい話ばかりだな。「カンボジア人であることは誇り」なんて歌があるけど、現実は違うよね。でも話したいことがたくさんある。ヌオン・チアが特別法廷に逮捕されパイリンを去る時、高らかに笑ったこととか、僕たちが森でどう闘ったかとか。森で歌うと、声は木に反響するんだよ。(敬称略)