新卒フリーランスライターの成長過程を記すブログ 田中將介(^^)

新卒フリーランスライターの成長過程

おもしろいことは言えません。 しかし、誰かがおもしろいことを言ったことに対しては、ものすごい勢いで笑います。本当はフリーライターじゃなくてフリージャーナリストって言いたい。そんな人間です。

バッターボックスに立てる喜び

 
インターネットで、「私のこんな辛い思い聞いて」それに「こんな辛かった人間がこんなに立派になったんだよ」という美しいストーリーに群がる記者。
それが全てオープンになってくると、皆が「私の原点はいじめからです」とか、「私の何々は」、決してそういったいじめなるものは許されるべきではないというものは前提の上で、そういった弱い人の弱い部分に対して、「美談にするな」とか「嘘だろ」とか、そういった批判などするものなら、むしろ自分側に批判が来るのはわかっているから絶対にそんなことはしない。障害者のバニラエアの問題でもあったが、圧倒的に障害者のほうが弱者という権力を利用していくらでも突き進める。今回そこに度が過ぎたから賛否両論があったわけだ。
 
そういった「私はなになにだった」という原点探しをした結果、情報が氾濫してきた。
 
何を隠そう、私も人に共感してもらえるように、なにかと原点を探し続けた。なんで私はジャーナリストになりたいと思ったのか。いろいろ無理やりくっつけようとして、ネタを探したこともある。就職活動ではそれも役に立つわけだ。しかし、自分に嘘はつけなかった。実際の原点じゃないんだから、すぐ忘れてしまった。あれ、前、原点はなにっていったんだっけ。という具合に。
 
結局何がいいたかったかといえば、
私には、そういった原点らしい原点や、自分が弱いものとして生きてきた自覚は全くなかったから、逆にそれがコンプレックスとなり、苦しかった。
その人たちに向けて、どうこう文句を言っているわけではないことを理解してほしい。私らしい悩み方や苦しみ方をしていたというだけである。
だから、それが、私の原点だったのかもしれないと思う。
 
孤独はつらい。けれど私は孤独を求め、孤独になれず、それを辛いとも思っていなかった。けれど、たまに孤独につれていってくれるものが好きだったのかもしれない。孤独になりたいという自分の潜在的な欲求があったのかもしれない。
 
私にはコンプレックスがなかった。
 
孤独などなかった。
 
そのジャーナリスト、カメラマン、たちが取材したそのコンテンツはいつも私を孤独へと連れていってくれた。
 
常に誰かと楽しく、決まった人間たちと、最高に楽しい時間だった。若い頃は、そんなことしないで自分の人生について真剣に考えないと、など思うはずもなく、いかに野球の練習を憂鬱に、過ごしていた。
 
いじめられたこともなければ、不登校になったこともない。怒られることはあるけれども別にそのあと関わらなければいい話だ。
 
人の顔を伺いながら、うまくやる、最低の人間だった。自分の信念も特になかったからこそ、カメレオンのように、生きていたんだと思う。
 
それが、私を違う世界へと連れていってくれるのが、海外の写真や映像、そしてさらにいえばありありと生命を考えさせてくれる、自分の生きていることを考えさせてくれるものだった。
 
さらに衝撃な体験は、やはり自分で足を運ぶことだった。
 
これほどまでに夢中になることはなかった。今を生きている実感だった。
 
誰の顔も伺うことなく。
 
 
こうこうのときは、打席にたてないと結果が出なかった。けれど、打席にたつことなど、できなかった。なぜなら私はアルプススタンドにいたから。
 
たったひとりの人間からの評価で、自分が打席にたてるかいなかがきまる、ものは、今になっては残酷に思うが、それが、また競い合う意義であると思うし、私は好きだ。
しかし、今こうして、またマスコミに入ることを許されなかった、打席にたつことをまたも阻まれていた自分の人生は、自分の手で、打席をその場に作り出すことができる、その歓びは耐え難い。